黒猫Jayの個人的な雑談を集めた空間です。 主に扱うのは、創作と感想とその他です。
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2011年に出たSF映画『TIME(原題:In Time)』、評論家から辛口を言われ、観客から傑作だと絶賛された訳でもない。映画の斬新さで評価するアメリカの映画情報サイト「ロトントマト(腐ったトマトとの意味)」の関連ページをみても、2015年12月3日現在で新鮮度36%、点数は5.2/10の低い数値だ。そのストーリーが分かり難かったから評価が乏しいのかというと、そうでない。物語は極めて単純明快である。それを可能にしたのは人間そのものに数字で確認できる時間制限のある世界観のお陰だ。
その世界に現実でいう「お金」は無い。使用される通貨は「時間」である。食べ物も、家賃も、通行料から全ての料金は自分の体に残された「時間」で支払われ、人々は死なないために自分の残り時間を働いて稼ぐ。主人公のウィル・サラスは、貧民街で母親と二人暮らしをしている。収入は非常に乏しく、一日働いてその日食って生きれる時間(お金)を稼ぐのがやっとの青年だ。そんな主人公がある日、貧民街で時間を奪い撮ろうとする不良達に絡まれた金持ちを助け、彼から餞別として117年という時間を受け取る。そこから物語が展開されるのだ。
「結婚いつするの?」との母からの質問に対する主人公の答え。 ここでいう「ヒマ」とは、「お金が無い」意味である。
117年という庶民には想像も出来ない「時間」を手にした主人公は、いつも少ない残り時間に追われる母親と自分の時間を分け合う為に走る。手首に刻まれた時間が切れたら人は死んでしまうのだから、お互い電話で呼び合いながら走って行く。バス料金が上がった所為で母の残り少ない時間ではいつも通りに乗って行く事も出来ず、貧民街にタクシーなんか無いので息子から近付くのも適わない。お互い必死に走りしかない。でも、その努力も虚しく、母の時間は息子の目の前で切れて死んでしまう。そして時間で管理される社会体制そのものに復讐する為、主人公が動き出すのである。
先言った「ストーリーは単純明快である」のが世界観のお陰だというのは、物語の中心になるのが「目に見える時間」だからだ。もし作品で使われる通貨が今のお金のままなら、すっからかんになった所で直ぐ死ぬ訳ではないから緊迫感が無い。お金が「個人に残された時間そのもの」だからこそ余裕はなく、常に緊迫感が走る。(映画の原題『In Time』の意味の中には「時間に間に合う」があるのも、その設定の暗示だ)
でも私に言わせると、この映画の最大の見所というか考えさせるポイントは、通貨=時間だという作品内の設定が今の私達の生きる社会への強烈な風刺である点だ。
お金…お金無しでは私達は社会の中で生きられない。お金を十分に持たないと人間の尊厳を守れない。必要な分だけお金を持たないと、得たいものも手に入らない。お金が足りないと手術費を払えず、助かる命も失ってしまう。ではそのお金はどうやって稼ぐのか。殆どの人の場合、時間を掛けて働くしかない。でも労働者が得られる給料には、「働く時間に合う分」という限界がある。でも雇う側やお金でお金を増やす人達に取っては、その限度が違い過ぎる。小説『モモ』や『はてしない物語』で有名な作者「ミヒャエル・エンデ」は次の様に述べた。
“ある人が西暦元年に1マルク貯金したとして、それを年利5%の複利で換算すると、現在その人は太陽と同じ大きさの金塊を4個分所有する事になる。一方、別の人が、西暦元年から毎日8時間働き続けたとする。彼の資産はどのくらいになるか。驚いた事に、1.5メートルの金の延べ棒一本に過ぎないのだ。この大きな差額の勘定書は、一体誰が支払っているのか”
映画では「25歳以後年を取らなくなり、時間が通貨の代わりになる」とかを言うけど、あくまでもそれは私達の住む世界でお金が持つ重さを強調する土台でしかない。殆どの人間の収入は分かり切った金額に収まるのだし、しかもそれを稼ぐ為には「個人の時間」つまり「人生」そのものを消耗しなくちゃならない。でも 最初から立場の違う人達に取って、収入を得るのは時間だけの問題ではなくなる。もちろんその様な人達だも、時間を掛ければ収入も増える事に違いはないだ ろ。しかし「最低限必要なお金を稼ぐ為に、毎日必死で働かなくてはならない」訳ではない。映画で主人公が金持ちになってから感じる変化もそうだ。
また風刺的な要素は他にも色々ある。「人口管理の為に25歳以後に残り時間は1年にする」事もその一つだ。これが「何処かおかしい」と思うのは、私だけでは無い筈だ。通貨と言うものは本来実物から始まったものだ。物々交換の時には物そのものだった通過は、紀元前7世紀ぐらいには金属製になった。
実は「誰でも不老不死なのに手首に刻められた時計で死ぬ様に操作されてるだけ」だとも言えなくもない。しかし、「殆どの人間が限られたお金しか稼げない」点から考えると、映画で出る時間とは、働く為に消耗される人生そのものを指していると思った方が妥当だ。そう、実際のアメリカの平均年齢を76歳(※2010年基準)だとすれば、年齢の保障された26年を引いた50年という年月は既に体制側に抜き取られたと思った方がいい。市場に流される「時間」という通貨は、同意無しで奪われた一人一人の人生であり、労働者は適当に生きる事も、ゆっくり歩む事も、余裕を楽しむ事さえも認められていない事である。そしてこれこそが『TIME』で言いたい核心ではなかろうか。
庶民に比べて金持ちや権力者達は、映画内でどう描写されているのか。主人公がいきなり金持ちになった後、賭け事で更に多くの「時間」を稼ぐ場面が出てくる。貧民街では 「一日の時間を手に入れるのに一日が掛かった」その日暮らししか送れなかった人が、十分な資金の元で「数百年分の時間をいとも簡単に手に入れてしまう」(その稼ぎの内容は命を掛ける事までするのだけど、貧民街では毎日命を掛けてる様なものなのに乏しかった事を考えよう)同じ苦労、同じ時間、同じ人間に与えられるのは、同じ対価ではない。「お金」を金を稼ぐ本質である「人間の時間」に引き換えて、この様な社会の不条理を強く風刺しているのだ。
ところで全ての基準が時間である世界観は、何もこの映画が初めてな訳じゃない。日本では短編集『世界の中心で愛を叫んだけもの(1969年作)』で有名なSF 作家 ハーラン・エリスンの1965年に発表された短編『「悔い改めよ、ハーレクィン!」とチクタクマンはいった('Repent, Harlequin!' said the Ticktockman)』がある。そのハーラン・エリスンから映画『Time』を盗作だと言い、映画の公開の中止を要求した事がある。
『「悔い改めよ、ハーレクィン!」とチクタクマンはいった』の日本語訳は、20世紀SF③1960年代・砂の檻 (河出文庫) に載っている
1. SFというより
SF的なガジェットが数多く登場するけど、SFというよりファンタジー作品だと思いました。
不死を実現した社会とは思えないようなつっこみどころが多々あるのですが、SF的に説得力のあるバックボーンが語られないので、これはファンタジー作品だと思い込むようにして、心の中で解決しました。(笑)
それにしても、ハーラン・エリスン、映画の公開中止を要求をしたんですか。(笑)